調査書・推薦書・内申書作成依頼

東大に横入りする方法

調査書、内申書、成績表は、一般に、あまり合否に関係なし

まず、一番重要な、調査書や内申書、成績表の入試における評価基準をお伝えしておきます。

結論から言うと、一般には、ほとんど試験の合否に関わらないし、気にしなくても良いと考えます。

各方面で、いろんな人に聞いたところ、選考の場で考慮されることもあまりないようです。
それ以前に、人に書いてもらう調査書や内申書など、自分でコントロールしがたいものです。
もちろん、作成者の印象を良くすれば、推薦書等を良く書いてくれるかもしれませんが、肝心の読み手の試験官に伝わるかどうか不明です。
ひねくれた者が多い大学の試験官(失礼)からすれば、逆に、試験の成績ではなく、おべっかで合格を狙おうとしているのか、と悪い評価になるかもしれません。
特に、過去の成績表など、今更変えようがありません。

実際に、私が、試験を受け持つ東大出身の試験官に聞いたところ、この手の調査書、前所属の学校の成績書は、まず、選考の対象とならないそうです。
その試験官曰く、数十年、入試の審査業務に携わっているが、過去に一度も、調査書や成績表が、入学審査で話題に上ったことはないそうです。
さらに、その試験官は、もしもの仮の話として、試験の成績が同程度で、甲乙つけがたい時に、あるいは、選考の対象になるかもしれないが、という程度でした。

それを聞いた私は、最初は、あまりにも大げさに、調査書や成績表を軽視しすぎているのではないかと疑問でした。
一応、入試に際し、提出を求められている以上、何らかの査定の対象になるのではないかと勘ぐってしまします。

ただ、もし査定の対象になるにしても、そんなに大きな比重は占めないとは思います。
調査書など、客観的に書かれるわけがありません。
成績表にしても、どんな難易度のテスト、レポートで、どんな基準で点数が点けられたのか、分かったものではありません。
成績表に至っては、学校によってレベルが違いすぎますから、ほとんど当てにならないと考えます。

よほど、調査書や内申書に悪いことを書かれていない限り、マイナスには働かないでしょう。
逆に、どれほど調査書や内申書によく書かれていても、そういうものだと、気にとめられないかもしれません。
成績表も、優秀な大学で良い成績を取っていれば、印象が良くなるかもしれませんが、肝心の入試で点が取れないと、やはり不合格になるでしょう。
また、どんなに成績表が悪くても、試験で優秀な成績を出せば、説得力充分でしょう。
逆境を乗り越え、よほど勉強したのだなと、逆に高評価になることも期待できます。
面接でも、それらしきストーリーを述べて、補足してもいいでしょう。
そう、面接があれば、悪しき調査書、成績表の弁解はできる可能性があります。

生殺与奪に似た権限を持つ相手との交渉

さて、この調査書、推薦書の類いですが、大学、学部、学科、専攻等によっては、作成・提出を求められることもあります。
当時、私が、最初に、東大の学士入学試験に出願した際には、必要でした。

最初に、試験の合否とは関係はないと結論づけましたが、個人的には、厄介極まりない事務処理事項でした。
経済的、時間的、そして何より、精神的に深いダメージを受けました。

以下は、あまり有益でない、個人的エピソードに過ぎない話となります。
ただ、私と似たような境遇で、同じような体験をした人は、どうか、逆境を乗り越え、最終的に合格を勝ち取っていただきいと願うゆえ、書き連ねます。

まず、調査書作成依頼自体が面倒です。
調査書を作成してもらう出身校の担当者に、説明しなくてはなりません。
郵送依頼では心許ないこともあります。
直接出向いて依頼する場合、場所的に、現住所と出身校が離れていれば、時間的、経済的に、負担となります。

また、調査書作成をお願いする弱い立場であるゆえ、作成者に気を遣わなければなりません。
内申書に似た、ある意味、生殺与奪の権限を担う相手が、傲慢無礼にふるまってくる場合もあります。
教員から、悪い職業に就き、悪しき経歴を有していたと思われていた私の場合、恥辱に耐え続けなければなりませんでした。

仕方なく、何年か振りに、私の出身である、地元学校の分校の担当教師に、電話しました。
担当教員は、初めは、はっきりと私のことを思い出せなかったみたいでした。
しばらく、私と話をすると、
「ああ、看病してた親御さんが亡くなって、バイトで食いつないでいた、分校所属だった苦学生か。
担任の先生の紹介と、親御さんの勧めで、地元のうちの分校に入れられたんだな。
卒業後、忌み嫌われる仕事に就いたんだっけ」
と勝手に、まくし立てられました。
私は、もう気持ちが萎え気味になってしまいました。

私の場合、仕事は、心底望んで、全力で勉強、鍛錬して、試験に合格して、やっと就けたのですが、
世間で見れば、卑しく、まともな者がやるものでない、汚れた仕事とされることが多かったのです。
3Kとも言われた、忌み嫌われる底辺職業として、良く挙げられるものです。
特に、教員からは批判が多く、異性からも蔑まれ、批判、罵倒、揶揄される場面が多かったのです。

とにかく、やはり私は、担当教員から、そんなに評価されない、変わり者と思われていたみたいです。
田舎の教員たちは、自分たちが地方国立大を出ているということで、なぜか特権優越意識を持っていることがあります。
加えて、それ以下の出身、経歴と思っているらしい生徒たちを、見下しているようなところも感じられます。

それでも、とにかく、東大受験のためには、調査書作成を依頼しなければなりません。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、調査書作成を依頼し、後日、伺うことにしました。

東大受験自体を暴露、嘲笑される恥辱

出身校の元担任に会い、調査書作成を依頼しました。
当然、東大受験を知られることになります。
元担任は、最初は、私が何を言っているのか不明でしたが、結局は、東大を受験すると理解し、呆れました。
「全国の優秀な者達が、こぞって、この頂点の東大を目指して受験するのだから……」
と絶句されました。
私なんぞが合格するはずがない。
受験すら失礼かつ愚かしいという、元担任の反応でした。

私としては、この元担任は、東大の試験官なんぞではないので、事務処理要員として、さっさと調査書を作成してもらいたいだけでした。
しかし、教員によくあるごとく、特に、出来が良くなく、好意的でもない教え子に対しては、批判と嫌みを、基本的な敬語も使わずに、ぶつけてきます。
その後、いろいろと、だらだら、ぺちゃくちゃと、好き勝手言われ続けましたが、元担任が、疲れ、時間も大分たった頃、やっと、調査書自体は書いてくれました。

元担任としては、調査書作成を依頼された場合、どうやら、事務処理上、断れないらしいからでした。
ただし、留保をつけられました。
どんなに調査書を書いても、結局は試験で合否が決まると、強調されました。
落ちたとしても私のせいで、調査書を書いた元担任の責任ではない、と念も押されました。
多少、元担任自身が、東大教員に対し、全くの影響力を持たないことを恥じているようでした。
自分より、上位概念に対しては、屈服しがちのようです。

東大受験のための調査書を得た以上、すぐに、この元担任とは別れたかったのですが、やはり教員の傾向で、別の道、選択肢を強く推奨してくることがあります。
自分の場合は、この元担任から、東大ではなく、教員の息のかかった、別の地方の国立大学への挑戦を勧められました。
思い付きか、利権によるものかは不明です。
教員の知り合いがいるからだそうです。

こちらは、東大合格だけを目指しているのに、迷惑な話です。
情熱をもって、別の道を推薦してくる相手は、こっちが応えないと、逆に怒り出す始末です。
それでも、私は、あくまでも東大合格を目指すと言い張りました。

すると、元担任は、さらに呆れながら、諦め、突き放したように、
「そんな日が来るといいね」と、苦笑、嘲笑しました。

私が東大に合格するなど、超SF異次元幻想ファンタジーのような受け止め方でした。
悲しいことに、応援・激励を期待したい出身校の教員さえ、自分の学校の生徒、卒業生を、全く評価していない事実です。
教員の俗的な見方と、世間の評価を思い知りました。

さらに、学歴で生徒を判断しがちな教員も、なぜか、東大病患者になるな、学歴が全てじゃないと、普段の自分とは逆の意見を持ち出して、揶揄し出す始末です。
この元担任自身、東大を出ていないので、低学歴の生徒をさげすむ反面、教員より良い大学を目指す者には、もしかしたら合格するのではとの恐怖からか、複雑な感情が渦巻くようです。

東大合格強制という終身刑

こうなれば、東大に合格しなければ、殺されたも同じ、あるいは、牢獄に入れられたも同じです。
恥辱を雪ぐためには、もう東大合格しかなくなりました。
逆境となりました。
死に体です。

何としても、復活・蘇生の逆転劇を完遂させなければならなくなりました。
脱獄せねばなりません。
東大に受からないままだと、ずっと敗者として嘲笑され続けます。
今後、合理的な路線変更、戦略的撤退で、東大受験を中止しても、敗北者、不合格者と評価され続けるに違いありません。
人の評価に振り回される悲しく愚かな生き方といえばそうですが、それまでの短い人生では、内容や信念ではなく、結果や表面ばかりで評価されてきました。
世間は、とかく外見、肩書で評価されます。
特に、私が接した多くの人々はそうでした。

取りあえずは、東大合格を果たさないと評価されないし、自信をもって、お天道様の下を堂々と歩けない気持ちになりました。
でないと、生きていく甲斐がないとさえ、未熟ながらに思い詰めました。
その意味で、仕方なく、最低限の人生復活条件が、東大合格となりました。

田舎の噂好きの、しかも東大と聞いて、過剰に反応してしまう、その手の人たちの間では、たちまち話題になります。
その後、調査書作成を依頼した、この元担任に、大声で、東大を受験することを第三者に喋られましたし、皆が閲覧する文書に記載されたことさえあります。

さらし者にされた私は、もう東大に合格するしかありませんでした。
親しい者には、すでに東大受験を「公言」していましたが、さらに強制的に、私に必ずしも協力的かつ好意的でない者たちにまで、東大受験が知られてしまいました。
合格するまで、悪意や嘲笑も受けましたが、同時に、絶対合格への情熱と執拗さの原動力となったかもしれません。

結局、私は数年後、東大に合格しました。
それでも、この調査書作成依頼は、私にとって、今でも、重く暗い体験、心を抉られた、いわば、魂の傷害事件として、苦しい思い出、後遺症となっております。

愚者の東大受験公言は、恥辱かつ推進力となり得る

結論として、東大受験公言は、恥辱を伴いますが、合格への推進力にもなり得るということです。
ただし、性格と状況によりますから、慎重に行動すべきです。
また、人によっては、調査書、内申書作成時には、厄介なことにも遭うので、強い覚悟と心を持ってほしいです。

逆境にいながら、挑戦し続ける皆様を応援し続けます。

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