「トウダイ」:人を惑わす四文字言葉-東大受験の人間劇

東大に横入りする方法

人は勝つことによって学ぶ。勝つことでしか到達できない境地がある

そろそろ、合格発表の時期です。
結果は様々でしょう。
一時的な結果は、長期的な最終結論とは、なり得ません。

確かに、人生は敗北や失敗によって学ぶことも多いです。
しかし、同時に、
勝つことによって得るものも大きいし、
勝つことでしか到達できない境地もあります。

東大に挑戦したものの、
賢明なる路線変更や戦略的撤退を決断実行し、
その後、より良き人生を送り、最終的な勝ち組になる人もいます。

一方で、結果的、あるいは最終的に、目標であった東大に合格する者もいます。

東大合格前の嘲笑

自分の場合、東大を受験すると公言すること自体、気が引けました。
理由は、客観的に見て、自分がとても東大に合格するレベルになかったからです。
それでも、事務手続上、出身校の教員に調査書を作成してもらわなくてはなりませんでした。

少人数であれ、どうせ自分の東大受験がばれるならと思い、
意を決し、なぜか、積極的に東大受験を公言してきました。
結果が出ない挑戦の日々は、本当に辛かったものです。

実際に、東大受験に際し、
調査書作成依頼のため、出身校の教員に、受験希望を告げたら、
驚愕、失笑されました。
全国の優秀な者が、こぞって、この東大受験を志すのだからと、呆れられ、
受験自体が愚かで、かつ、失礼ではないかという、怒った態度さえ取られました。
さらには、かさにかかって、自分が合格したら、
奇跡だ、狂乱祝賀会を開催すべき事態だと笑いに持って行きました。
応援どころか、嘲笑されたものでした。

無念でしたが、耐えるしかありませんでした。
自分の東大受験は、ずっと秘しておきたかったのですが、
事務手続上、自分の東大受験を知った教員たちは、言い触らした結果、ちょっとした噂になってしまいました。

もう自分には、合格することでしか、認知されませんでした。
つまらない見栄だったかもしれませんが、受験勉強には熱が入りました。
闘魂が燃え上がり、勤労や生活の苦しさにも、耐え続けることができました。

東大合格間近の、周囲の惑いと蹌踉(よろ)めき

残念ながら、周囲の評価通り、まだ実力がなかった自分は、数回の受験失敗を経ましたが、
情報と学力と要領と実績等を得続け、
ついに、客観的にも、東大合格間近という段階に来ました。
具体的にいうと、一次学科試験合格しながら、二次試験の面接に落ちるという結果が出てきた頃です。

自分の東大合格が現実的になったとき、周囲の反応は分かれました。
ますます応援してくれようとする人達もいました。
身内や、自分の後に東大受験をするために、自分からノウハウを学ぼうとするや、本当の善人の方々です。

一方で、私の東大受験を阻止、揶揄し出す者達も存在し続けました。
調査書作成を依頼した教員も、その一人です。
学歴がすべてではない、東大病になるな、今のままで良いではないか、
路線変更、複雑な経歴は日本では歓迎されない云々という、
それはそれは、人によって様々な批判が寄せられました。

人間は、嫉妬、負の部分、やましい部分があると、逆に、饒舌になり得るのかと感じました。
そんなありきたりすぎる批判は、東大受験をする前に、最下層底辺と言われる職に就き、そのレベルの生活をしていた自分自身が、痛いほど分かりきっていた実感でした。
自分が東大に不合格になることを祈って、実際に呪詛したり、部屋に乗り込んできて、受験勉強自体を妨害してくる、かつての友人までいました。
人生と存在をかけた、本気の東大受験の過程で、様々な人間劇を堪能できました。

この段階になると、東大受験に否定的な意見に接ししても、あまり気にならなくなりました。
ただ、やるべきことをやり、結果を待つだけでした。
自分で制御できることをやり尽くして、天命(実際には、単なる試験官である教員の恣意?)を待つだけでした。
結果が出るか否かで、自分の境地も変わっていたでしょう。

東大合格後の祝福

そして、東大に合格しました。

いわば、魔の瞬間の到来です。

批判していた者たちも、表向きは、素直に賞賛してくれました。
調査書を依頼した出身校の教員も、見事な初志貫徹と、形式上は認めてくれました。

そして、自分と友人・知人になろうと、逆に、向こうから積極的に接してきます。
教員は、関係出版物に投稿してくれとか、
公務員の友人は、保証人か何かになってくれとか言い出す始末です。

特に、この身元保証人の話には驚かされました。
学生に資力はないのに、保証人の資格を満たすか疑問でしたが、
東大生という格は特別で、各方面に睨みが効き、鼻が高いと
依頼者の友人は咳き込み、本当にそう思い込んでいるようでした。
逆に自分は冷め切り、東大に合格した後に初めて、東大受験の虚しさの一端だけは垣間見ました。

自分の大恩人である、東大学士入学制度を教えてくれた、都心の早慶出身者も、羨ましいと溜め息をついていました。
早慶と東大に間には、もの凄く格差を感じているようでした。
まさに、東大は別格だそうです。
自分は、早慶に合格できなかったので、この感覚は分かりませんが、
東大入学後も、早慶出身の東大院生等は、必要以上に東大に価値を覚えているようでした。
逆に、東大文Ⅰ出身の後輩は、淡々と、早慶の大学院に進学しようとしていました。

受験前、東大は、手の届かない、夢のような、遙か遠い、夢伝説の如き存在でしたが、
いったん合格して入ってしまうと、普通の、当たり前の日常大学となります。
周りも当然東大生ばかりだから、当然でしょう。
これを成長、達観というのか不明ですが、学歴コンプレックスは解消できました。

必要以上に、自分をアピールしたり、人を批判したりすることもなくなりました。

皆様の挑戦を応援し続けます。魔の瞬間よ、来たれ

周りになんと言われようが、挑戦し続ける皆様を応援し続けます。
それが、このブログの趣旨かつ作成意義です。
各人の状況から、一概には言えませんが、ご自身が満足、納得されるまで、挑戦し続けてほしいものです。

例えば東大なら、東大のくせに、東大だからダメ、という罵言もありますが、
はるかに賞賛と有利な立場に置かれることが多いです。
いろんな批判はあり、ある程度、負の部分があることは事実でしょうが、
実際に東大に入れた私の実感として、良かったことの方が圧倒的に多いです。
交際や仕事等の生活上はもちろん、特に精神上そうです。
インチキくさいながらも、形式上は「東大卒」だからこそ、特別な地位に就け、評価を得られたことがあります。
学歴には、当然、人格と総合能力が含まれます。

以上、一意見に過ぎず、反論・批判は多々おありでしょうが、
最後に改めて、様々な目標に挑戦し続ける皆様を応援し続けます。

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