自称「劣等生」による、東大合格、難関校合格、逆転ストーリーの真偽

東大に横入りする方法

才能がなくても、努力だけで補えるか?

永遠のテーマで、論点です。
各人が丁寧に検討、解釈、理解し、納得かつ実践する必要があります。

努力で全てが解決するという事象も、稀にはあり、
本人も、もしかしたら、誰かとの比較で、本当にそう思っているのかもしれません。
ただ、私は、やはり、何事かをなすには、何らかの才能は必要だと主張します。

これを書くと、このブログの存在意義自体が失われ、商法的、外交的には、不利になる場合が多いです。
しかし、真実と思うので、あらかじめ断っておきたいと考えます。

努力がすべて、才能がなくても誰でもできる、という文句は、
だいたいは、誇張や外交辞令や悪徳商法の類いが多いものです。

真摯にそう思われている方や、稀な尊敬すべき例外が存在することも認めます。

しかし、逆説的ですが、努力、練習、訓練の鬼、「軍曹」、記録保持者、王者は、
努力の才能に恵まれた「天才」であり、劣等生ではありません。

つまりは、文脈や人柄を考慮して解釈する必要があります。

個人の意思が通し切れない、公表されている、当ブログの内容や自己紹介にも、諸事情から、悪しき商業的一面があることを、率直に認めます。
私が超エリートでないことは、紛れもない事実ですが、
優秀でなくても東大合格の可能性があると謳い、
分量制限からも、
成績が良かった一面もあったことを、省略せざるを得ない内容となってしまっております。

自称「劣等生」の商業的成功ストーリーなのか?

劣等生だった者が、努力や要領や戦術等で、難関試験に受かったというストーリーは、よく市場に見受けられます。
もちろん、注目されがちですし、売り込むチャンスです。

しかし、その「劣等生」も、実は、それなりに優秀だったり、結構な進学校出身者であったり、自他ともに認める元々優秀な自頭の者であったりすることの方が多いというのが実感です。
本人たちも、心底、自分が頭が悪いと思ってはおらず、
ひそかに、元々自分は優秀なので、本気でやれば成功できるし、そう認められたい願望もあると推察されます。

東大合格のためには、戦略や人生経験や人間力も含めて、何か、頭の良さ、センスがあることが前提だと思われます。
努力で全てをなせるとは言い切れません。
真(ま)に受ける者にとっては、害悪が多く、取り返しがつかないことにもなりかねないからです。

才能やセンスがないから、あきらめろと厳しく告げることこそ、ある意味、良心かつ人道的である場合もあるとも考えます。
私が東大受験を志した時も、随分と否定的かつ軽蔑的な反応が多く、それは今でもそうです。
もっと得意な分野で、全力を尽くすべきだったとの評価もあり得ます。

自己紹介の補足

私も、確かに高校では、クラス・ワーストスリーに入る、赤点ばかり取る劣等生でした。
しかし、この高校は、田舎の県のベストスリーには入らないものの、その地域、学区では、上位4分の1程度の者が行く、一応の「進学校」ではありました。
また、中学入学当時は、成績がクラス1番だったこともあります。
周囲からも、頭が良いという評価を得たことも、一時期はありました。

語学や国語は苦手だったものの、音楽や体育は好成績で、計算や数学や図形問題、推理問題等、あまり勉強しなくても比較的容易に解ける場合もありました。
小学生時代は、そろばんの初級段階では、いきなり何級も飛び級受験して、満点だったこともあります。
仕事や配置でも、天測計算や運動版や文章作成等、おおむね理系やエンタメに傾きがちでしたが、最優秀に近い成績を残せた経験も、僅かですが、ちらほらあります。

ただ、とてもとても、東大合格レベルの頭脳と環境は持ち合わせていなかったと本気で思っております。
東大に合格するようなエリートは、少なくとも自分の出身高校の同級生や周囲にはおらず、東大合格のための勉強法や勉強習慣とは、全く縁がありませんでした。
予備校や学習塾自体が身近になく、通った経験もありません。
家庭教師にも教わったことはありません。
東大受験に関しては、未知のもので、当時のセンター試験も未受験です。

語学は今でも苦手であり、心底、とても優秀とは思えません。
この苦手な語学を、数年間かけて、情熱と努力で、三カ国語の外国語の成績を上げ、東大に合格できたという過程、実績は、強く自認しています。

この意味で、優秀でなくても、劣等生であっても、戦略と努力と情熱等で、東大に合格できる可能性があると主張したいのです。

正直、理系的頭脳や自頭と、外国語や論文の出来の因果関係は、私には証明できません。
私自身の性質としては、理系、体育会系です。
スポーツトレーニング、警備訓練、武道等(軽く)に携わり、軍事・戦略面にも注目してきました。
これらの事項が、ある程度受験と関連するのか、参考程度なのか、全く関係ない話なのか、よく分かりません。

とにかく、東大学士入学試験に関連する、語学や論文を中心とする、文系の勉強や受験については、頭の良さではなく、量と情熱と少しの戦術で押し切ったという印象です。

厳しい勝負でも、詭道戦略と多少の才能、多大な王道努力・情熱で、逆転勝利できることもある

最後に、もう一度まとめると、現時点において、東大学士入学試験の経験を通して実感していることは、

・逆境や不利な状況があっても、多少の才能と多大な情熱があれば、成功可能性があり、挑戦する価値はある
・苦しく、難しく、不可能と思われる戦いであっても、多大な努力や情熱によって、奇跡の勝利や成功を得られることがある
・人によっては、運よくポンと合格することも稀にあるが、たとえ失敗し続けていても、多大な努力と情熱で繰り返し挑戦し続けていれば、成功する可能性が高まる

ということです。

これらの解釈については、さらなる考察と記事を重ねた後、貴重な他の意見も参考にしつつ、さらに深めていきたいと思います。
皆様の御協力も得ながら、今後の課題、要修正点としたいです。

とにかく、皆様の逆転、成功を応援したいです。

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