過去問非公表の場合こそ、出し抜く好機(東大に横入りする方法3)

東大に横入りする方法

・過去問非公表の場合こそ、出し抜く好機
私が受験した、ある東大の学部の、学士入学の試験問題は、公表されていませんでした。
過去問題が公表されていない現実を、どう捉えるべきでしょうか?

受験に対して不安な受験生ゆえ、勘繰りは、いろいろとできます。

内部者の間で、情報を隠しているのではないか?
公正な試験を実施していないのではないか?
教員の息がかかった学生(すなわち内部である東大生)を、密かに優遇して入学させようとする魂胆ではないか、などと疑うこともできます。
いわゆる、コネや、実質上の不正入試です。
疑念が頭を駆け巡って、やり切れなくもなります。

ただ、不正を訴えたところで、反応や効果は薄いです。
公的機関で、厳正な試験の実施は主張されていますが、自由・自治が認められ、批判を受けづらい制度的保障もある学界です。
司法試験やその他資格試験等とは異なり、試験態様、結果は、試験官たる教員の「裁量」が大きく働きます。
部分社会においては、なかなか、恣意抑制の議論が機能しません。

外部者にとって、内部情報を得にくい状況は、変えられません。どうしようもありません。不利な状況を受け止め、対応するしかありません。
下手に動くと、まさに外敵となって、ますます合格は遠退きます。

私は、過去問が公表されていない状況を、むしろチャンスと思いました。
多くの受験生は半ば諦め、隠された情報を探り出そうとする努力をしないままです。暗中模索で受験に臨むと思われたからです。

行動力がある者にとっては、むしろ、試験内容非公開のほうが、大チャンスです。ここでこそ、他の受験生を出し抜くことができます。

逆に、試験内容の多くが公表され過ぎると、皆に知れ渡って、順当に、元々有利な環境、素質の者が合格していってしまうことも考えられます。

私は、独自に動きました。
直接、東大の教員に会ったり、講義に参加したりと、何振り構わぬ行動を取りました。
さらに、周辺の関係者からも、情報を仕入れました。

その他、編入学を専門にしている予備校もあり、具体的な資料があるかもしれません。

ただ、最終的には、試験官である複数の東大関係の教員から、直接、試験の内容を、ある程度聞き出すことはできました。
多くの教員が男性である限り、女性であることは、実は、かなり有利に働きますが、別に、枕営業をした訳でも、くのいち的行動を取ったわけではありません。

正攻法の方法を一つだけ紹介すれば、もし公開されているなら、同じ系列の大学院の試験問題を調査してみると良いでしょう。
学士入学、編入試験の試験問題は公表していなくても、大学院入試の試験問題は、公表している機関もあります。
学部と大学院は、専門系列が同じなら、試験も同じ教員が担当している場合が多いです。
問題傾向も、求める解答も似通っていると考えられます。

実際に受験し、合格した男子大学生に近付いて、情報を聞き出すという方法など、考えれば、いくらでも絞り出せるでしょう。

試験を、結婚や就職同様に、人生における魔の瞬間、一大決戦と考えれば、卑怯・下劣と批判・侮蔑されようと、合法と解釈できる限り、勝つために、やり抜く覚悟も必要でしょう。
 
試験問題の傾向自体は、一度受験すれば、分かります。
悲劇的な逆説ではありますが、何度も受験していけば、落ち続けても、データは溜まっていきます。

あるいは、一年を調査に充てる覚悟で、一度、受験を体験してみてもいいかもしれません。
異なる学部を受験すれば、一年で、複数の受験データが取得できます。

実際に、受験してみれば、問題ばかりではなく、試験当日の時間配分、体調管理の仕方も分かってきます。
当日の現場状況、コンディションも、試験結果に大きな影響が出る場合があります。
交通状況、空調状態、食事やトイレ、隣席の受験生等、細かい状況を挙げれば、きりがありません。
ある程度、現場状況を知っていれば、翌年以降の受験では、かなり有利となること、間違いありません。

何度でも受験してもいいです。制限はありません。
既に、社会人や大卒以下の、学歴コンプレックスを持つ者は、現役合格、一発合格など、どうでもいいこだわりです。

ただ、試験の結果や受験・面接態度が悪いと、試験官に悪い印象を植えつけるという見方もあります。
私も、そう思っていましたし、そういうケースもあるでしょう。

ところが、少なくとも、嫌われていない限り、何度も受け続ける情熱的な受験生とも受け止められる場合もあります。
実際に、私の知人も、数回受験して、試験官に情熱を認められ、合格していました。
表面上は、学術を志す姿勢を示し、毎年努力・成長しつつ、何度も立ち向かうその姿勢は、試験官の教員も感心していましたし、その姿勢には、私たちも感動したものです。
彼の勉強量は鬼気迫るもので、感涙するほどでした。

ただし、志望動機や研究対象には、一貫性を持たせましょう。
本来なら、試験の査定は、毎年、独立して行われるべきものですが、面接がある試験は、試験官の「裁量」という名の、恣意、好悪が、露骨に結果に表れます。
前年度の成績や結果を、翌年度の試験判定にまで持ち込む行為は、本来は不正ですが、前述の通り、圧倒的権力者、利権者である試験官の公正を期待してはいけません。
弱者たる受験者や、少数派たる学士入学試験受験者の救済は、まず図られないでしょう。
他人の立場は、なかなか理解しようとしてくれません。
特殊な立場にある、劣等生、社会人の事情は考慮され難いです。

私も、東大教員たちに、仕事や生活で勉強時間が確保できないという情けない愚痴を行ったところ、だいたいは、理解されず、一蹴されました。
それはそうでしょう。
理解を示してくれる教員もいましたが、積極的な援助はしてくれません。

また、情報は、中央や現場に集まりがちです。
現場や東京にいないなどという言い訳も、同情や考慮してくれません。
私も、中央から遠く離れた地方出身でしたが、自費で、時間を作って、東京に乗り込んで来ました。
故郷を捨て、親から離れる選択をとり、当該地で生活することは困難ですが、試験に関しては、心理的にも、有利になります。
ホームでの戦いは、有利です。

一時的に、親不幸な行動を取ってこそ、永続的な親孝行をなすこともできます。

試験情報を得るために、貪欲になりましょう。

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