自分に合う指針、方法を選ぶ。相性の合わない指導者との付き合い。過去問は公認されたカンニング(東大に横入りする方法2)

東大に横入りする方法

自分に合う指針、方法を選ぶ

まず、最初に断っておかなければならないことは、私の気風や方法論が、ご自分とは合わないと感じられたら、避けてほしいということです。
参考例を選ぶ場合には、ぜひとも注意しておかなければならない要点があり、相性もその一つです。
 
人にも物にも方法にも、それぞれ相性があります。
いくら成功した例だからといっても、自分に合わなければ、害悪になる場合さえあります。

伝える側、教える側は、相手を助け、育てると同時に、潰す可能性もあります。
例えば、教師と遭遇した時、恩師でではなく、怨敵ともなりかねないことがあります。
少なくとも、このブログは義務教育などではなく、強制されたものではありません。
皆様には、選択の余地があります。

教材に関しても、同じです。
いくら、この参考書が良い、合格者の多くが使っているとされていても、
合わない傾向、性質の人はいます。
例えば、英語学習の辞書選びで、定番おすすめとされているものでも、
構成、配色、文字の大きさ、それまでの慣れ等、
なぜか、人によっては、拒絶反応を起こしてしまう場合があります。

指導者から、使用を、実質的に強制・強要されたからといって、我慢して使用し続けても、
これでは、勉強が捗りません。
精神的にも苦痛となります。
結果、逆に成績を落としてしまうことにもなりかねません。

相性の合わない指導者、試験官との付き合い

だだし、指導者や教員等、周囲の関係者などとは、できるだけ、人間関係を悪化させないようにしたほうがいいでしょう。
評価裁量、強い影響力、生殺与奪の権力を持っている場合も多いからです。

試験官も同様です。
受験者からすれば、いわば、生殺与奪の権力を持った相手です。
合格を第一目標とするなら、信条に反するからといって、むきになって、試験官に逆らってはいけません。

就職試験でも、同じです。
歯の浮くような、そぐわない、語句、言葉を並べ連ねるのは、信念に反し、我慢ならないと思われるかもしれませんが、試験の際には、直接的感情を抑制しましょう。

相手も、勝手に、独自の見解・感情で、あなたを判断しているのであり、
利益で判断、対処しているに過ぎません。
何ら信条に反すること、不道徳なことではありません。
むしろ、当然の武略、適切なる対応として、賞賛されるべきです

居合わせた試験官など、偶然性によるものです。
あなたが本気で相手にする相手ではありません。
舞台に入るという大義のために、一時的に耐えましょう。

指導者や試験官の意にそぐわない時には、丁寧に事情を説明したり、誠意を込めて、例外を特別に認めてもらったりして、少なくとも、相手の感情と自分の成績を悪化させないような処置を取るよう尽力しましょう。

多少、指導者、上司の意向に逆らったとしても、関係性を維持しつつ、成績を落とさず、結果的に成功すれば、心証が良くなる場合もあり得ます。
時には、自分に合わない種類の教え子、部下まで成功させたという実績や、心が広いという評価を与えることになるからです。

成功者には、成功者ゆえの、独特の魂の韻律や方法論があります。そんな、韻律を感知し、吸収しつつ、逆に、敬遠し、自分なりに消化するのも一方法です。
自分に合った、似たタイプの成功例を参考例としたいものです。

実際、私は、若気の至りで、むきになって、失敗したことが、何度あります。
何回も学科試験に受かりながら、面接で落ち続けた苦い経験です。
就職試験でも、無礼とも思える圧迫面接に、反撃したこともあります。
結果入社に至りませんでした。
まあ、長期的視点、別視点に立てば、それも一つの価値ある反応だったとも言えますが。

ある程度、長期的に、かつ本質的に従うべきでないと判断したら、喧嘩別れも良いでしょう。
むしろ、人間としては魅力ですし、人生本望ともいえます。

とにかく、瞬間の感情はいかんともしがたいこともありますので、一回だけの、いわば、魔の瞬間である試験で、どのようにふるまうかは、結局、人間性や状況等によります。

ただ、目的遂行の場合には、忍耐すべき場面があります。

過去問は公認されたカンニング

敵を知り、己を知れば、百戦危からず。
孫子の言葉で、解釈は、いろいろと分かれます。
要するに、相手と自分を知れば、危険に陥る事態とはならない、というような意味と受け取れます。

注意しなければならないのは、敵と己を知れば、百戦必勝ではない、ということです。
あくまでも、危険な境遇にならないといっているのです。

受験に当てはめると、どんな試験問題が出るか、どの面接官が担当するかを、事前に調べておけ、ということです。
もちろん、絶対最優先の事項です。

特に、試験問題さえ、ある程度、事前に分かっていれば、あらかじめ、戦略が立てられ、時には、模範解答が用意できます。
見当違いの受験勉強をいくらしても、試験対策にならなかったら、意味がありません。
そんな努力は、試験の結果という視点からは、時間と労力を食い潰す、害悪としかなりません。

東大の出題傾向は、毎年ほぼ変わらないともいわれます。
理由は、出題者が毎年同じだったり、持ち回りのことが多いからです。惰性とはいいませんが、前例が踏襲されがちです。
また、前例を変えるということは、前回の不備を認めるということにもなりかねません。
教員同士は、とても仲が悪くても、同じ利権を得ている組織を存続させるためには、嫌いな相手を表立っては否定しないものです。
問題を毎年変えるようでは、その組織の信憑性を失うことにもなります。
伝統的、守旧的、保守的な組織ほど、変化は起こりづらいものです。

諸作業、事務等に追われる、多忙で、お気の毒な教員にとって、試験事務など、ストレスのたまる、厄介な雑用に過ぎないことが多いものです。
実際に、東大教員であった、ある試験官は、試験ほど、ストレスのたまる、無意味な、やりきれない作業はない、と愚痴っていました。
よって、試験問題作成に、強烈なエネルギーを注ぎたがらない人物もいます。

また、専門分野でありながら、結局は、総合的な能力を求める傾向が強い東大の試験においては、同じような問題を出しても、支障は少ないと思われます。
総合力を問われるなら、実力をつけるのに時間が掛かるので、過去問を知ったからといって、すぐに対応できるものではありません。
例えば、語学の長文問題が出ると分かっていても、前年度の解答を丸暗記しても意味がありませんし、結局は、長い時間をかけて実力を養成するしかないからです。

ただし、語学の長文読解を攻略しなくてはならないとは分かりますので、戦略・戦術を立てるためにも、過去問の傾向を把握することは重要です。

確かに、世代交代や、時代の推移により、制度自体や問題形式が変わる可能性はあります。
そうなっても、他の受験生にとっても概ね同じであり、自分だけが不利になるということはありません。
もしかしたら、試験傾向が変わるかもしれないとの心構えをもっていれば、たじろぐ必要はありません。

繰り返し強調しますが、常に、過去問をはじめとする、受験情報には、敏感でなければなりません。

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