学科試験の成績が、他の受験生より良かったこと。多数の外国語ができたこと。そして、情熱
東大入学後、いわば身内になった東大教員に「合格ありがとうございます」と、まず礼を言った。
そして、確認のため、なぜ、私が学士入学試験に合格できたのかを聞いた。
「一次試験で受かった他の三人より成績が良かったので、合格者は君一人になった。
いろんな外国語もできるし」とのこと。
この4年間の語学修行が報われた思いだった。
さらには、情熱があったから、採ったという。
ちなみに、面接だが、教員同士でも、他の教員の目があるから、下手な質問はできないらしい。
どうやら、試験官同士では、意見が違うことが、相当にあるようだ。
他の目を気にせず、好き勝手に振る舞う試験官もいたが。
別の教員は、面接では、学生を採りたいという気持ちでやっていると教えてくれた。
「君のときは優しかったほうだ。すごく緊張しているのが分かったからね」
とも言った。
やはり、堂々と振る舞うより、学界では、恐縮緊張しているほうが、無難なのだ。
同時に、圧迫面接は珍しくないとも分かった。
さらに、私の学力と複数外国語能力と情熱が、面接を和やかなものにしたといえよう。
約一名の教員を除いて。
リベラル逆用作戦成功。職業・思想差別との闘い。今後の事件示唆
最後に、面接で、イジメのように、厳しい質問を、ずっと続けた、その試験官の教員に聞いてやった。
この敵対教員は、「どうしてあんなに外国語が複数、しかも良くできるの」と、くやしそうに半ば怒鳴ってきた。
私の語学成績が良かったので、落とすに落とせなかったらしい。
この教員一人が試験官なら、絶対不合格だった。
話題は、私の前歴と研究志向である、軍事系の警備になった。
この教員が、私を不合格にさせたかった根本である。
飲み会という酒の席でもあったので、この差別教員は、荒れ気味に本音を吐いた。
敵対教員曰く、ここははリベラルを謳っているので、軍事系ということでは落とせなかったらしい。
これは、私のリベラル逆用作戦が、幾分効いたか?
当の敵対教員も、選考の場でも、何も言わなかったらしい。
やはり、私を落としたくてしょうがなかったのだ。
差別主義者だ。
まあ、光栄だと言っておこう。
さらに、また目を三角にしたこの教員は、これ以降、絶対に、警備、特に、軍事系や自衛隊に関わるな。
東大と自衛隊は関わらないという協定がある。
すなわち、東大の学問を軍事目的に利用しないという原則がある、
と力説してきた。
本当なのか。その論理も怪しい。
学界や東大が、自衛官や軍事研究を拒否しているのは、ずっと問題視されているが、何が、平等主義、学問の自由だ。
しかも、私は、一部の遺伝子操作みたいな、危険な研究をするのではない。
科学的な武器開発をしたいわけでもなく、そっち系の法律や歴史や社会史等を検討したいだけだ。
同じ学科所属の別の教員が、この差別教員の軍事・警備排除の発言に、疑問を投げかけていた。
なるほど。
教員同士が、意見が合わず、関係が悪い事実も確認できた。
今後、私は、信念を貫こうとすれば、東大生活の中で、いろんな不遇や事件に遭うだろう。
すでに、予感があった。
単なる試験官の気分と偶然性
ただ、入学後に仲良くなった東大生が、別の要素も教えてくれた。
教員云々より、東大の学生達との交流が、よほど財産になる。
この東大生が、学士入学試験を実施中の頃合いに、試験官たる教員と雑談していたところ、
当の試験官たる教員が、
「今年は、一人くらい採るか」
と言っていたということである。
つまり、学士入学試験は、学術面はもちろん吟味されるが、厳正ではなく、その年の教員の気分という、偶然性も加味されるということだ。
もちろん、合格するには、学力と情熱と三カ国語以上の外国語能力等のプラスアルファが必要で、前提条件だ。
ただ、教員が、学士入学者を合格させたいという気分になる年に当たるためには、やはり、何回か受験する必要があるともいえる。
試験は、まず実力だが、勝負には、どうしても運や偶然性も絡む。
総合的に、その強運に当たるような対策を取り、行動しなければならない。
東大横入り。
実に貴重な体験だった。
まだまだ、語り尽くせないが。
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